maOpinion No-3

バリエーションを生む技術が「新しい世界」を拓く
画家は一枚の絵を完成させるために、完成作かと見紛うほどの「習作」を多く描きます。
バリエーション作品はそれと同じです。
テーマを完成させるためには、主体のあらゆる発展形を模索し、もっとも意に適った作品を採用します。
デザイナーに要求される能力のなかで、もっとも重要で常に留意するべき要素は、このバリエーションを生む力量です。
デザイナーの多くはクリエーターと称し、いわば、「定型」を使うのではなく。「定型」を創作しようとしているようです。無駄な努力です。
例えば、禅における公案(設問)に対する答えは「個人的見解」を求めません。古今東西の知の集積から導かれた答えでなければ、師家(禅の先生)に認めてもらえません。
「造形や思考の新しさ」の判断にも、それに似た部分があります。
テーマを我が方に引き寄せ、思考を停滞させずにバリエーションを生む力量がなければ、複数のクライアントを持つことができ ません。何をデザインしても、その作家特有の画一的なイメージ表現しかできないようでは、職種や個性の違う企業、商品の違いなどを明確に表現できません。 しかしこの、作者の身についている視覚同一性を「個性」といったデザイナーがいます。その個性しかないのであれば、ファインアートの世界に入った方が良い ことになります。
演劇やドラマの世界でもよく見られます。有名な俳優で、数種のドラマの主役をもらいながら、どの役を演じても同じような演技しかできない人がいます。 ちょっとしたしぐさひとつにもその俳優のクサミが邪魔をして、見る側をして劇中に引き込ませてくれません。名優といわれる人にはそれがありません。
個性とは名優のようなもので、劇の違いがクライアントや商品の違いであるように、デザイナーにはクライアント側の要求をいかようにも視覚化できる、あるいは、文章でいう「推敲」ができる柔軟な思考と幅広い知性が求められます(「推敲」も、分かっていなければできるものではりません)。 料理で考えればバリエーションの意味が明解になります。
例えば、カボチャをそのまま皿にのせて客に供する。それが料理といえるでしょうか。もちろんそのまま食した方が良い素材もあります。しかし、その場合でも、刺身であればその捌き方、包丁の切れ味、盛りつけ、が料理の良否を分けます。
料理では、煮る、蒸す、焼く・・・など、料理の基礎をマスターしていなければ巷の主婦に変わりません(もっともプロ級の主婦もおられますが)。
素材のカボチャを煮詰め、裏ごしし、味付けをし、生クリームをトッピングして綺麗な器に盛る・・・素材の姿をとどめないポタージュでありながらカボチャだと分かる、そして素材のおいしさを生かせてこそ力量のある料理人です。
・手間暇かけて作られた最高においしいカボチャが「伝統文様」です。
・料理法がきわめて少ないカボチャが「個人的感覚の文様」です。
・カボチャの姿をとどめない料理でありながらカボチャだと分かるのが「バリエーション」です。
・お金のとれる料理人が「プロ」です。

「伝統文様」をそのまま使うとか、基本的料理の「切って煮る」ほどもしないというのは、「面倒だから」ではなく、バリエーションを生みだす力がないといわれてもしかたありません。
素材(文様)をそのまま使うことは、同じ素材がさまざまな作家によって重複することになります。世間に同じものが存在する、と思えば、次々に新しい素材集を手にしなければならなくなります。
ここにグラフィックのプロトタイプともいえる「伝統文様」の選択眼(感性)と、バリエーション力こそが新しい世界を生み出せる力量であると言えるのです。

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